素人が新聞記事書いてみた

新聞記事を書いているつもりでブログを書いています。

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【皇紀】2678年7月9日

明治5年(1872年)7月9日は、マリア・ルス号事件が起きた日だ。

「マリア・ルース号事件」とか「マリア・ルーズ号事件」という場合もある。

この時、日本政府は支那人231名を助けた。

このことにより、日本は始めて国際裁判の当事者となってしまう。

 

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マリア・ルス号は、ペルー(正確には「ペルー共和国」)国籍船だ。

マカオからペルーに向かう途中、修理のため横浜港に入港した。

マリア・ルス号には、231名の支那人の苦力(クーリー)が乗船していた。

 

 苦力とは、支那人やインド人などのアジア系の移民や下層労働者の呼称だ。

アメリカ合衆国で黒人奴隷制が廃止(1862~1865年)された後、代わりの労働力として鉱工業や鉄道建設などの危険な場所で働く労働力として重宝された。

表向きは移民や労働者だが、その実態は奴隷に近いものだった。

 

マリア・ルス号に乗船していた支那人の苦力が監視の目を欺いて海中へ逃亡し、大英帝国の軍艦アイアンデューク号に助けられる。

大英帝国はマリア・ルス号を「奴隷運搬船」と判断する。

そして、大英帝国在日公使は、日本政府に対し支那人救助を要請する。

 

日本に支那人を助ける義務や義理はないし、もし助けた場合、ペルーとの間に国際問題をかかえてしまう。

当然、日本政府としては断るはずだったのだが・・・

 

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当時の外務卿(外務大臣)福島種臣(そえじま たねおみ)は、神奈川県権令(副知事)大江卓に支那人の救助を命じる。

こうして支那人の苦力たちは助けられることとなる。

福島は人権派だった。そして、支那人が好きだった。

 

その後、日本はペルーとの間に国際問題をかかえ、謝罪と損害賠償を要求される。

日本は物凄い苦労をするが、国際仲裁裁判で勝利し、ペルーの要求は退けられる。

 

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福島種臣(そえじま たねおみ)は支那人の人権を守った。

しかし、この事件について支那が日本に感謝することはない。

 

マリア・ルス号事件、あなたが福島種臣の立場なら、どういう決断を下す?