素人が新聞記事書いてみた

新聞記事を書いているつもりでブログを書いています。

【広告】

【皇紀】2678年9月29日

昭和47年(1972年)9月29日、日本国と中華人民共和国の間で、「日本国政府中華人民共和国政府の共同声明」が調印され、国交が開始された。

一般的に「日中国交正常化」と呼ばれている出来事だ。

 

f:id:newspaper-ama:20180929091933j:plain

日本国政府中華人民共和国政府の共同声明」に調印し、握手をする田中角栄総理と周恩来(しゅう おんらい)国務院総理、出典:バカでも小学生でも猿でもわかるわかりやすいニュースサイト

 

中華人民共和国は、昭和24年(1949年)10月1日に建国した。

まだ歴史が浅い国だ。

それ以前、中華人民共和国の領土には、中華民国という国があった。だだし、統治していた領土は多少異なる。

昭和21年(1946年)、支那大陸は国民党と共産党の内戦状態に突入する。

国民党というのは中華民国のことで、共産党は後の中華人民共和国のことである。

この戦いに共産党が勝利し、中華人民共和国が建国されることとなる。

戦いに敗れた国民党は、現在の台湾に逃げていく。台湾は昭和20年(1945年)まで日本の一部だったが、日本の敗戦により、戦勝国である中華民国が統治するようになっていた。

 

ちなみに、日本は中華人民共和国と戦ったことはない。

大東亜戦争で戦ったのは中華民国で、日清戦争で戦ったのは「清(しん)」である。

清は中華民国の前に、支那大陸にあった国である。

このように、支那大陸では、国が出来たり滅んだり、領土が変わったりという事がよく起きている。

 

日本が中華人民共和国と国交を開始したキッカケは、当時の米国の行動だ。

昭和46年(1971年)7月15日、当時のリチャード・ニクソン米国大統領は、突然、「翌年5月までに、中華人民共和国を訪問する」と発表し世界中を驚かせる。これに最も驚いたのは日本だ。米国からの事前通告がなかったからだ。その理由は、当時の日本には台湾派の政治家が多く、事前に日本に話しても、日本は納得しないからだ。

昭和47年(1972年)2月21日、ニクソンは米国大統領として始めて中国首脳の毛沢東と握手をし、約20年間にわたる敵視政策を転換させることを約束する。ただし、米国と中華人民共和国が国交を開始するのは、昭和54年(1979年)と、まだ先になる。

9月29日には、日本は中華人民共和国と国交を開始する。

その後、西ドイツやベルギー、オーストリアなども次々と国交を樹立していく。英国とオランダも、それまでの代理大使級から大使級の外交関係に昇格させる。

 

同時期に、中華人民共和国は、連合国(一般に「国連」と言われる組織)の常任理事国となる。

それまでは、中華民国(台湾)が連合国の常任理事国だった。

しかし、昭和46年(1971年)10月、連合国は中華人民共和国の中国代表権を認め、中華民国(台湾)を追放してしまう。

 

中華人民共和国が力をつけ始めたのは、日本と国交を開始して以降だ。

日本の金と技術により、国を発展させていった。

昭和55年(1980年)からは、経済特区を設置し、外国の資本を呼び込むことに成功し、更に国を発展させていくことになる。

 

歴史に「もしも」はないが、ニクソン米国大統領が中華人民共和国を訪れなかったら、日本は国交を結んでいなかったかもしれないし、中華人民共和国がここまで力をつけることはなかっただろう。

現在のトランブ米国大統領は、中華人民共和国の力を弱めようとしている。

皮肉なものである。

 

最後に、「日本国政府中華人民共和国政府の共同声明」の要旨に以下のようなものがある。
日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。」
引用:外務省
国交を開始するにあたり、両国はお互いの領土について文句を言ったり、内政に干渉しないという前提がある。
中華人民共和国は約束を守っているか?