素人が新聞記事書いてみた

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台風の強風と1日半の停電を経験、当たり前の生活ができるのは幸せなことだ

平成30年9月30日。

台風24号が日本列島に接近していたこともあり、今日はいつもより早め午後4時前には帰宅した。

台風に備え、植木鉢など風に飛びそうなものは室内に入れ、雨戸も閉めた。

もしもの時のための、『防災食セット』も確認した。

そして、入浴と食事を早め済ませ、すぐに就寝した。

懐中電灯とロウソクも手の届く範囲に置いておいた。

就寝したのは相当早く、恐らく、午後7時前だったと思う。

 

夜11時頃、ガタガタという音により目が覚めた。

強風により、窓が音をたてていた。

小さな窓ということもあり、ここには雨戸がない。

ガラスは今にも割れそうで、恐ろしさを感じた。

下のツイートはその時にしたものだ。

 

 

私は浜松市に住んでいるのだが、22時~0時過ぎ頃までが雨風が最も強かったようだ。

気象庁によると、23時10分の平均風速は27.4m/sだった。

情報元:気象庁|過去の気象データ検索

 

外を見ると、今までに見たこともない強風が吹いており、電線が上下左右に激しく揺れていた。

電線が切れてしまわないかと心配になる程だった。

そして、電柱が少し傾いているように見えた。

これには衝撃を受けた。

 

数分後の11時15分頃、電気が消えた。

停電になったのだ。

我が家だけでなく、周りの家も同様で、見える範囲の電気はすべて消えていた。

懐中電灯を付け、そのまま風が弱まるまで起きていることにした。

こういう時は本当に不安になる。

 

そのまま、0時30分頃まで我慢していると、風はかなり弱くなった。

雨もほどんど降っていなかった。

外にでて、2台の車を確認したら、両方とも無事だった。

家に戻ると、安心したせいか、疲れがどっと出た。

そして、そのまま朝まで眠ってしまった。

 

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翌10月1日の早朝、外には多くの木の葉や枝、ゴミなどが散らかっていた。

家の前の電柱は、やはり少し傾いていた。

近所の信号機は動いていなかった。

車を運転するのも危険だし、台風の後始末もあるので、この日は会社を休むことにした。

 

静岡県では一時、70万戸を超える過去最大規模の停電が発生した。

1日午前5時現在、まだ20万戸ほどが停電している。

静岡県西部を中心におよそ1,800基の信号機が動かなくなっていた。

情報元:静岡県内の停電 20万戸に 復旧には数日かかるか | NHKニュース

 

朝6時前、近くのコンビニへ行くと、まだ「おにぎり」があったので購入した。

すでにお弁当の残りはなく、おにぎりが数個残っていいるだけだった。

パンはまだ少し残っていた。

 

朝食は炊飯器にあるご飯をお茶づけにして、冷蔵庫にあった魚などを食べた。

幸い、水とガスは使える状態だった。

冷蔵庫は停電後8時間ほど経過していたが、中はまだ少し冷たい状態だった。

しかし、多くの食べ物は捨てることになってしまった。

電気が使えないと、照明をつけることができないので、昼間でも暗い状態だ。

このため、心理的に不安な状態になってしまった。

 

この日は1日、台風の後片付けに追われた。 

予想以上に多くのゴミがあり、「浜松市指定ごみ袋に45ℓ」で8袋もあった。

ゴミの大部分は木の葉や枝だったが、破損した看板の一部やプラスチックの破片などもあった。

 

昼食はコンビニで購入した「おにぎり」を食べた。

夕食はカップラーメン『緑のたぬき』と、さばの味噌の缶詰を食べた。

体を動かしてお腹がすいていたせいか、とてもおいしく感じた。

 

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夕食前の午後6時頃にも近くのコンビニへ行ったのだが、食料品はほとんど残っていなかった。

お弁当やパンは何もなく、お菓子が少し残っていた。

上の写真はその時、いつもお弁当が置いてある棚を撮影したものだ。

定員さんに話を聞いたら、お弁当をつくっている工場が停電で停止したため、いつ入荷できるか不明のようだ。パンに関しても同様の状態だった。

不安な気持ちになった。

 

コンビニから帰ってきたら、近所の方が水もガスも使えない状態で困っていると話していた。

空の1,00mlのペットボトルが2本あったので水を入れて、カップラーメン『緑のたぬき』4食と乾パン2袋と一緒に差し上げた。あと、カップラーメンを作るためにヤカン1杯のお湯も差し上げた。

「本当に助かります」と涙を流されて感謝されたので、少し複雑な気持ちになった。

実は、乾パンは好きではないので、捨てようと思っていたからだ。

 

この日は夕食後、疲れたいたこともあり、すぐに深い眠りについた。

 

翌2日は、早朝4時頃に目が覚めた。

家の周辺を散歩してしてみた。

散乱していた多くのゴミは片づけられていた。

看板などの大きなものはそのままにしてあるところが多かった。

近くの信号は復旧していた。

コンビニへ行ってみたら、パンが入荷されるところだった。

お弁当はまだ工場が停止しているため、入荷の予定はないとのことだった。

少しではあるが、「昨日より復旧しているな」と感じた。

 

朝食は『防災食セット』 を食べてみた。

2年以上前に購入したものだったが、全然大丈夫で、味もなかなかだった。 

この日は会社に出社した。

1日中社内業務の予定だったので、『防災食セット』を2食分持っていった。

いつもどおり仕事をしてら、お昼になった。

近くの『吉野家』は営業をしていた。

また、セブンイレブンに行った人の話では、パンやサンドイッテなどは、すでに入荷されており、お弁当のカレーライスも販売されていたとのこと。

私は自宅から持ってきた『防災食セット』を食べた。

 

いつもどおり、午後6時頃帰宅したら、電気が復旧していた。

家に明りがついているのを見て、とても安心した気持ちになった。

その後、2日ぶりに入浴したが、すごく気持ちが良かった。

約2日ぶりの温かく白いご飯の味も格別の味だった。

当たり前の生活できるというのは、本当に幸せなことだと実感した。

 

中部電力によると、我が家が停電したのは9月30日の23時15分頃、電気が復旧したのが10月2日の9時50分頃。

停電していた時間は35時間弱だった。

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情報元:中部電力|浜松営業所担当地域の停電情報 ─ 停電情報 ─

 

電気が使えなくなると、交通はマヒし、コンビニやスーパーに食品が届かなくなる。

食品工場も停止してしまう。

生命を維持するための医療機器を使用している人などは生死に関わる。

水道が使えなくなるお宅が多かったのは意外だった。

今回の停電では良かったが、真冬では暖房も使えなくなるため、寒さの厳しい地方では凍死の危険性すらある。

停電するということは、自分が想像していた以上に大変なことだった。