今日は、連合国安全保障理事会が始めて開かれた日だ。
この組織は、なぜか日本では「国連」と呼ばれている。
英語名は"United Nations"である。
第二次世界大戦中に存在し日本やドイツなどの枢軸国と戦った連合国も"United Nations"である。
英語では同じ名前なのだ。
「現在の連合国」は「第二次世界大戦時の連合国」とは別の組織ではあるが、その影響を強く受けている。後継の組織なのだ。日本やドイツが冷遇されるのは当然である。
ちなみに、「第二次世界大戦時の連合国」とは、連合国共同宣言に署名した国のことである。昭和20年(1945年)3月までの署名国は47カ国。
連合国旗、出典:Wikipedia
昭和16年(1941年)8月、「現在の連合国」の構想がでる。米国のルーズベルト大統領と英国のチャーチル首相が、カナダ東海岸のプリンス・オブ・ウェールズの艦上で会談した時だ。第二次世界大戦後の世界の枠組みについて話し合いがもたれた。それを具体化したのが「現在の連合国」だ。米国と英国はすでに、第二次世界大戦に勝利することを確信したいた。
その後、昭和18年(1943年)3月、米国による草案がほぼ完成する。"Draft Constitution of International Organization"である。
昭和20年(1945年)10月24日、連合国は正式に発足する。この時の加盟国は51か国だった。
そして、昭和21年(1946年)1月17日、始めての安全保障理事会が開かれる。
連合国には、総会、安全保障理事会、経済社会理事会、信託統治理事会、国際司法裁判所、事務局という6つの主要機関と、多くの付属機関・補助機関が置かれている。
安全保障理事会は、連合国のなかで最も重要な機関である。事実上、連合国の最高意思決定機関と言える。
安全保障理事会の決議には、法的に連合国加盟国を拘束する権限がある。決議に違反した国に対しては、制裁を行うことが可能となるのだ。
これが連合国の安全保障に関する基本的な考え方である。敵も味方も地球上のすべての国を連合国に加盟させ、統一したルールを決める。このルールを犯した国は「袋叩き」にすることが可能となる。加盟国はこれを恐れてルールを守るようになる。つまり、抑止力が働くようになるのだ。
安全保障理事会は、常任理事国と非常任理事国の計15か国で構成される。
常任理事国は米国、英国、フランス、ロシア、支那の5か国で変わることはない。非常任理事国は10か国で任期は2年、毎年半数の5か国が選挙により選ばれる。
安全保障理事会の決定は、常任理事国と非常任理事国のうち、9か国以上の賛成票により決定される。ただし、重要問題である実質事項の決定においては、常任理事国が1か国でも反対すると成立しない。これを「拒否権」と言う。
拒否権については異論を唱える国は多い。特に日本とドイツだ。しかし、大国間の協調なしには連合国の存続自体が危うくなると言う現実的判断をする国の方が大勢を占めている。
連合国本部、出典:Wikipedia
連合国について詳しく知ると、多くの日本人は学校で教えられてきたような素晴らしい組織ではないことに気づく。
「そんな組織抜けてしまえ」という感情を抱く者も多い。
当然だ。
しかし、これは危険な考え方である。
昭和40年(1965年)、インドネシアが連合国から脱退した。だが、翌年には再び復帰している。
台湾も連合国への復帰を望んでいる。
連合国の安全保障理事会や総会には多くの国の代表が集まる。ここに参加できないのは外交的な損失が大きい。更に、連合国に加盟していないと、外国との商取引に影響がでる場合もある。
真実を日本人にとって連合国は気に入らないことが多いだろうが、今は脱退すべきではない。
もし脱退するなら米国と歩調を合わせるべきだ。
国際政治は理不尽なことが非常に多いのだ。