素人が新聞記事書いてみた

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【皇紀】2679年1月30日

今日は日英同盟が調印された日だ。

 

日英同盟とは、日本と英国の軍事同盟のことである。

明治35年(1902年)1月30日、英国外務省で、日本駐英公使林董はやし ただすと英国外相ヘンリー・ペティ=フィッツモーリス(第5代ランズダウン侯爵)の間で調印された。

その後、明治38年(1905年)に第二次、明治44年(1911年)に第三次と継続更新された。しかし、「太平洋方面ニ於ケル島嶼タル属地及島嶼タル領地ニ関スル四国条約並同条約追加協定」通称「四か国条約」が締結されたことにより、大正12年(1923年)8月17日に失効した。

 

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日英同盟の批准書原本、出典:Wikipedia

 

当時の世界は、白人国家が非常に力を持っていた。

GDPでは、英国は日本の3.5倍、ロシアは3倍強だった。

科学技術に関しても、日本は英国やロシアより遅れをとっていた。

 

明治33年(1900年)の購買力平価GDPの推定値

米国 :3,128億ドル

ロシア:1,540億ドル

英国 :1,765億ドル

日本 :   500億ドル

引用:世界経済の成長史1820~1992年

 

明治28年(1895年)の「三国干渉」の後、ロシアは南下をしてきており、日本の植民地化が現実味を帯びてきていた。

この危機に対し、日本国内には2つの意見があった。

1つは、ロシアに土下座をして許してもらおうという「日露協商論」。

もう1つは、支那大陸の北側に利権を持っていた英国と協力してロシアに対抗する「日英同盟論」。

ただ、日英同盟は非常に難しい状況だった。日本国内では、ロシアに土下座するのも仕方がないという雰囲気になっていた。

 

しかし、明治33年(1900年)に起きた「義和団事件」により状況は一変する。

ロシアは満州を手に入れ、英国の植民地のすぐ近くまで迫ってきたのだ。

義和団事件には八カ国連合軍が組織され、日本軍も参加し戦った。

この義和団事件での日本軍の強さと誠実さをみた英国は、日本を信用し、協力してロシアの南下を阻止する決断をする。

英国が日本に同盟を提案してきたのだ。

 

日英同盟は世界に大きな衝撃を与えた。

一つは、白人国家と有色人種国家が結んだ世界初の軍事同盟という点だ。しかも、条件は対等。当時、有色人種は白人から奴隷扱いをされていた。

もう一つは、50年以上どの国とも同盟を結ばなかった英国が同盟を結んだという点だ。

 

日英同盟の重要点は以下の2点。

①日本がロシアと戦争になった場合、フランスやドイツがロシア側について参戦したら、英国が日本の味方をする。

②密約として、日本がロシアと戦争になった場合、英国はロシアとは表向きは中立のフリをするが、影から日本の支援をする。

 

英国は約束を守り、日露戦争の時に様々な支援をしてくれた。日英同盟がなかったら、日本は日露戦争に勝つことはできなかった。

日英同盟は、日本にとっては非常に都合のいい軍事同盟だった。

しかし、米国の工作により破棄に追い込まれてしまった。

 

 

最近、英国は日本に接近してきている。

日英同盟の復活も十分に考えられるのではないのだろうか?

日英同盟を結んでいた頃の日本には、昇り竜の勢いがあった。

 

 

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