素人が新聞記事書いてみた

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【皇紀】2679年4月17日

今日は「日清講和条約」が調印された日だ。下関の春帆楼しゅんぱんろうでの講和会議を経て調印された条約のため、一般的には「下関条約」と呼ばれることの方が多い。

 

日清講和条約とは、日清戦争終結させるため、日本と(「清国」又は「大清帝国」とも言う)との間で、書面の形式により締結され合意である。戦争は講和条約の締結により、完全に終わったこととなる。

日清戦争とは、明治27年(1894年)7月25日から明治28年(1895年)4月17日に、日本ととの間で行われた戦争である。日本が勝利した。

清は現在の中華人民共和国とは全く別の国である。支配していた民族も、公用語も、通貨も違う。

 

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日清講和条約、出典:Wikipedia

 

明治28年(1895)4月17日、日清講和条約は調印された。主な内容は以下のとおり。

・清は朝鮮の独立を認める

・清は遼東半島りょうとうはんとう、台湾、澎湖諸島ほうこしょとうなどを日本に譲り渡す

・清は賠償金 2億テールを日本に支払う

 

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遼東半島りょうとうはんとうの位置、出典:Wikipedia

 

日本が日清戦争を始めた目的は、朝鮮を独立させるためである。

当時、ロシア帝国が南下をしてきていた。このため、日本は朝鮮を独立させ、ロシア帝国が攻めてきた時の緩衝国にしようとしていた。

緩衝国とは、大国の間に位置し、大国同士の衝突を防ぐ役割を果たしている国のことである。

日本は日清戦争の目的を達成した。

 

日本は遼東半島を手に入れる。この半島は戦略上とても重要な場所である。日本の安全保障環境は格段に上昇した。

・・・となるハズだったのだが、ロシア帝国の策略「三国干渉」により、日本はすぐに遼東半島を清に返還させられてしまう。

 

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台湾(澎湖諸島ほうこしょとうは左側の赤い部分)の地図、出典:Wikipedia

 

台湾と澎湖諸島ほうこしょとうは日本の領土となる。澎湖諸島は台湾西方約50kmに位置する台湾海峡上の島嶼群で、大小併せて90の島々から成る。

この時の台湾居住者の大多数は台湾原住民であった。台湾人は漢民族ではない。最近のDNAの調査によれば、台湾人の約8割が南方アジア系という結果がでている。

台湾は親日国である。現在でも日本と台湾は良好な関係を保っている。

 

日本は 2億テールの賠償金を得る。更に、その後三国干渉による遼東半島の代償として3000万両も得る。

「1両≒銀37.3g」なので、2億3000両では銀857.9万kgほど。清国は3年分割で英ポンド金貨でこれを支払った。これは当時の日本の国家予算の2倍以上にあたる。日本にとっては非常にありがたいものだった。

この賠償金で日本は軍隊の強化をする。更に、八幡製鉄所など工場の整備や、悲願だった金本位体制への復活も遂げる。

ちなみに、日本はこの後の明治37年(1904年)に日露戦争を戦うのだが、この戦争に勝てたのは、この時に軍隊を強化できたのが大きい。まぁ、他にも勝因はあるが。

歴史に『もし』はないが、日露戦争に負けていれば日本は滅亡、今いる日本人の大部分は存在しなかっただろう。

 

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李氏朝鮮りしちょうせん」及び「大韓帝国」の領土、出典:Wikipedia

 

日清講和条約は、韓国や北朝鮮に対しても大きな影響を与えた。

当時の朝鮮半島には「李氏朝鮮りしちょうせん」という国があった。領土は現在の韓国・北朝鮮とほぼ同じである。この李氏朝鮮、国というのは名ばかりで清の属国だった。しかも、権力者が相当好き勝手なことをやっていた。

明治30年(1897年)、李氏朝鮮は滅び、そこに「大韓帝国」が建国する。朝鮮の独立である。朝鮮人は悲願の独立を果たせたが、それは日本が清に勝ったからである。

 

韓国や北朝鮮反日教育をしている。歴史をみればわかるが、彼らは恩を仇で返す。興味がある方は調べてみてほしい。

 

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