素人が新聞記事書いてみた

新聞記事を書いているつもりでブログを書いています。

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【皇紀】2679年6月9日

今日は黄河決壊事件が起きた日だ。

 

黄河決壊事件とは、大東亜戦争中の昭和13年(1938年)6月、支那国民党軍(中華民国の国軍)が日本軍の鄭州(ていしゅう)への進撃を止める目的で、黄河の堤防を決壊させた事件である。

諸説あるが、水死者は100万人、被害者は600万人ほどと言われている。

氾濫は河南省安徽省(あんきしょう)・江蘇省(こうそしょう)の54,000平方kmの領域に及んだ。これは九州の面積(42,231平方km)より大きい。

軍事目的の環境破壊としては史上最大であった。

 

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赤い地域が洪水の被害を受けた地域、原典:互动百科

 

昭和12年(1937年)7月、日本と中華民国の間で、長期間かつ大規模な戦闘が始まる。

日本軍は中華民国の中心部への進軍を進め、昭和12年(1938年)6月までに同国北部全域を制圧するに至った。

6月6日、日本軍は河南省の中心地である開封市(かいほうし)を占領。鄭州市(ていしゅうし)が攻略される状況となった。

 

6月7日、国民党軍は中牟付近で、黄河の堤防爆破を行うが、失敗する。

6月9日、国民党軍は花園口で堤防爆破を行う。堤防は決壊し、黄河の水が堤防の外に流出。未曽有の大惨事を招いた。

6月11日夜、国民党軍は隴海線中牟の西方20kmの地点でも、黄河の堤防3ヵ所を破壊する。

 

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日本軍に救出された避難民、出典:Wikipedia

 

日本軍は破壊された堤防の修理を行った。開封治安維持会からは50人以上が自発的に応援に出た。しかし、国民党軍は現場に近づく日本軍に攻撃を加えたほか、日本軍が住民と共同で行っていた防水作業を妨害した。

日本軍は筏船百数十艘を出し、地元住民と共に救助活動を行った。

日本軍に救助された避難民は、開封方面で約1万人、朱仙鎮(しゅうせんちん)及び通許方面で約5万人、尉氏方面で約2万人、その他数万人であった。

 

中華人民共和国から国家一級作家に認定された、劉震雲(リュウ チェンユン)氏は以下のように述べている。

1942年から1943年にかけて、河南省では水旱蝗湯(すいかんこうとう)と呼ばれる水害、干ばつ、イナゴの発生、および湯恩伯(トウ オンハク)による重税により、300万人あまりが餓死した。

…この状態が続けば河南省は全滅していたが、1943年の冬から1944年の春までの間に日本人が河南の被災地区に入り多くの軍糧を放出して多くの人々の命を救った。

 

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被災地における日本軍の救助作業を伝える当時の新聞、出典:Wikipedia

 

黄河決壊事件は、人類史上最大の殺害事件といえる。少なく見積もっても、広島大虐殺(広島への原爆投下)の数倍の人命が奪われている。

 

支那大陸では黄河決壊事件のように、権力者の都合により多くの住民が犠牲となる事件が度々起きている。

大東亜戦争前後には、通州事件や葛根廟事件(かっこんびょうじけん)、通化事件などのような日本人虐殺事件も起きている。

現在でも、中華人民共和国ウイグルチベットなどで人権弾圧を行っている。

 

黄河決壊事件に関しては、名前すら知らない人が多い。

当然だ。

日本の教科書には、証拠のない南京事件は載っているが、証拠のある黄河決壊事件通州事件などは載っていないのだから。

このままでいいのだろうか?

 

 

 

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