素人が新聞記事書いてみた

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香港政府トップ、「逃亡犯条例」改正案は年内審議入り不可能と発表

香港政府トップの林鄭月娥(りんてい げつが)行政長官は15日、香港で拘束した容疑者を中華人民共和国本土へ引き渡せるようにする「逃亡犯条例」改正案の審議延期を発表した。

改正案は今月20に成立する予定だったが、「年内に審議入りするのは不可能」とも発表した。

改正案の撤回を求める香港市民の大規模デモに直面し、譲歩を余儀なくされた。

 

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林鄭月娥(りんてい げつが、キャリー・ラム)香港特別行政区行政長官、出典:Wikipedia

 

香港では今月9日、「逃亡犯条例」改正案に反対する大規模デモが発生している。

その規模は中華人民共和国返還?後最大で、参加者は主催者発表103万人(警察発表24万人)。香港の人口は740万人弱なので、凄まじい数である。

 

更に12日には、数万人と言われるデモ隊数万人が香港立法会(議会)を包囲した。

香港政府は警官隊を投入し武力鎮圧を行った。香港メディアによると、80人ほどの負傷者が出たという。

この時、鎮圧にあたった警官隊がデモ隊に対して非民主的な対応をした。催涙ガスや唐辛子スプレー、ゴム弾、暴徒鎮圧用のビーンバッグ弾を使用した。更に、警官隊が暴行を加えていると思われる動画も多数ネット投稿された。

この日から始まる予定だった改正案の審議は一時延期されたが、林鄭行政長官は20日までに成立させるという姿勢を崩さなかった。しかし、今日延期を発表、成立時期は未定となった。

 

 

香港は特殊な事情をもった地域である。

1842年、清から大英帝国に、南部の香港島が永久割譲される。

1860年、同じく、九龍半島南部の市街地を新たに割譲。

1898年、同じく、残りの部分も99年間の期限で租借される。これら清から大英帝国に割譲若しくは租借された地域が、現在の香港である。

1991年7月1日、 英国から中華人民共和国へ主権移譲が行われる。清と中華人民共和国は全く別の国である。だから、筆者は「香港返還」という表現に違和感を感じる。

主権移譲(返還)の前後には、共産党独裁政権である中華人民共和国の支配を嫌い、多くの香港市民がカナダやオーストラリアなどへ移民した。

 

英国から中華人民共和国へ主権移譲(返還)される際、50年間は「外交と国防問題以外は、高い自治性を維持すること」となっていた。

香港には香港ドルという独自の通貨もあり、貿易を行うときも中華人民共和国本土とは別の国という扱いである。ワールドカップやオリンピックも「香港代表」として出場する。なにより、表現の自由などの権利が保障される。

 ...はすだったが、ここ数年で状況は大きく変わってきた。

 

2015年、香港のある大きな書店の店主や店員が次々と姿を消す事件が発生した。彼らは中華人民共和国本土に行ったとき、拘束されていたのだ。その直前、この書店では習近平主席の暴露本を販売しようとしていた。

同時期には、マスコミ関係者や知名人などが中華人民共和国を批判しようとすると、謎の失踪をしたり、暴漢に襲われたりという事件も立て続けに発生した。

これらの事件により、香港の言論界では中華人民共和国を批判することができなくなってしまった。

 

香港政府も中華人民共和国の配下となってしまった。

香港政府トップである行政長官を選ぶ選挙制度が変えられてしまった。行政長官は1200人からなる選挙委員会によって選ばれる。このメンバーは現在、ほぼすべて中華人民共和国の息がかかっている者達だ。

そして、この選挙制度で初めて選ばれたのが、現在の行政長官・林鄭月娥(りんてい げつが)氏である。

 

すでに香港の民主主義は無くなりかけている。

今回の一連の香港デモは、香港市民と中華人民共和国の戦いである。

日本の国会前で行われるデモと比べ真剣さが違うのは、侵略者との戦いだからだ。

香港の民主主義を守るため、この事実を多くの人に知らせる必要がある。

 

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