宮城県が公費で設置した「安重根記念碑の案内看板」を撤去していたことが、13日わかった。
宮城県議会で、自民党の渡辺勝幸県議が「県費での設置は不適切だ」と指摘したことに対して、村井嘉浩(むらい・よしひろ)宮城県知事が撤去したことを明らかにした。
同案内看板については、自民党の和田政宗議員らが異議を唱えていた。
安重根記念碑の案内看板、出典:和田 政宗 on Twitter
安重根記念碑の案内看板は平成12年(2000年)、宮城県により同県栗原市の若柳金成(わかやなぎかんなり)インターチェンジ近くに設置された。
看板の大きさは縦0・8メートル、横2・8メートル。
「安重根記念碑(大林寺)」と日本語とハングルで書かれていた。また、下段に「安重根記念碑」と英語でも小さく書かれていた。
明治42年(1909年)、伊藤博文(前韓国統監)をハルビン駅構内で拳銃により射殺した。安重根は伊藤博文の顔を知らなかったため、伊藤博文だけでなく、その後ろにいた人物にも拳銃を乱射した。
ロシア官憲に逮捕され、日本の関東都督府(旅順)に引き渡された。
翌年、殺人罪で処刑された。
現在、韓国で安重根は英雄である。
安重根記念碑、出典:豊受真報臨時号~メディアが報じない真実を報じる~
安重根記念碑は大林寺(宮城県栗原市若柳字大林町裏219)にある。
平成3年(1991年)に建立された。公費は使用されていない。
安重根は処刑されるまで旅順の監獄にいたのだが、ここの千葉十七(としち)監視担当と親しくなる。千葉十七は安重根に惹かれていき、自らの師と仰ぐようになったという。
大林寺は千葉十七の菩提寺である。
村井嘉浩(むらい・よしひろ)宮城県知事、出典:Wikipedia
村井知事は「安重根記念碑の案内看板」は撤去しないと主張し続けてきた。平成27年6月1日の記者会見は、以下のように述べている。
あの案内板を否定するということは、これから日韓が共に前を向いて歩んでいこうとしている中で、また、(県庁の)目の前に総領事館があって非常にいい関係である中において、(案内板を)撤去することが日韓にとって総合的に考えますとマイナスになるのではないかということから、撤去には踏み切っていないということでございます。
村井知事が、なぜ看板撤去の決断をしたのかは不明である。
ただ、自民党の和田政宗議員が国会や Twitter などで情報発信をし、批判の声は大きくなっていた。
筆者は「安重根記念碑の案内看板」の撤去は当然だと考える。
むしろ、なぜ設置したのだ?
たとえ政敵であっても、拳銃で殺害などしてはいけない。しかも、他者を巻き込んで。
「憲法9条を守れ!」と主張している人達が、安重根を批判しないのも奇妙な話である。