今日は赤色ギャング事件が起きた日だ。
赤色ギャング事件とは、昭和7年(1932年)10月6日、東京府東京市大森区(現在の東京都大田区)で発生した日本共産党員による銀行強盗事件である。
日本で初めて、昼間に銀行を襲い現金略奪に成功した。
同事件は、米国の映画に登場するギャングのような手口で、共産党員による犯行だったため、「赤色ギャング事件」と呼ばれるようになった。
事件当日の午後4時頃、東京市大森区の川崎第百銀行大森支店に、拳銃で武装した覆面男3人が裏口から入ってきた。
彼らは拳銃を床に向けて発砲。
行員たちを応接室の前に並ばせ、その隙に現金31700円を奪った。
そして、裏口を通り、用意していた自動車で逃走した。
警視庁大森警察署は、ただちに緊急配備を敷いたが、犯人は検挙できなかった。
ちょうどその頃、牛込神楽坂警察署では、ある博徒事件の取調べを行っていた。たまたま容疑者の供述から拳銃の密売人の情報を入手。その密売人を検挙した。
この密売人を追及したところ「以前サイトウという男に拳銃25丁を売り、今度も拳銃6丁と実弾600発を売る予定だった」と自白した。
警察はサイトウを赤色ギャング事件の関係者と推測。待ち合わせ場所で張り込みをし、検挙に成功した。
サイトウは日本共産党資金局員だった。彼の供述により、残る2人も検挙された。
この頃の日本共産党は、強硬な武装化路線をとっていたため「武装共産党」と呼ばれていた。
そして、武装蜂起の武器購入のため、早急に資金が必要だった。
しかし、党員や支援者の相次ぐ検挙により、資金難に陥っていた。
日本共産党は資金獲得のため、強盗や恐喝、詐欺、美人局、エロ写真など考えられる限りの計画を立てていた。
そこで実行されたのが、赤色ギャング事件だった。
この事件の検挙により、中国銀行強盗計画、東京市内資産家強盗計画(7家の強盗計画)、刑務所襲撃計画(収監されていた党員の奪還)という未遂事件が明らかとなった。
なお、日本共産党は赤色ギャング事件について、「でっち上げである」と主張している。