素人が新聞記事書いてみた

新聞記事を書いているつもりでブログを書いています。

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【皇紀】2679年10月20日

今日は「10.20成田現地闘争」が起きた日だ。

 

10.20成田現地闘争とは、昭和60年(1985年)10月20日中核派を主力とした極左暴力集団成田国際空港(当時は「新東京国際空港」)に対し大規模な攻撃をした事件である。

極左暴力集団は、千葉県成田市三里塚交差点付近で警察部隊と激しく衝突した。更に、成田国際空港の管制塔などの施設を奇襲した。

「10.20成田現地闘争」という呼称は警察庁警察白書で使用しているもので、中核派は「85年蜂起戦」と呼んでいる。

 

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事件当日、三里塚芝山連合空港反対同盟北原グループが主催する、成田国際空港の二期工事に反対する全国総決起集会が、三里塚第一公園(千葉県成田市)で行われていた。

参加者は主催者発表14,000人、警察発表3,900人。

同集会には、実力闘争により成田国際廃港を目指すグループの参加が予想されていたため、警察は9,500人の限界体制をとっていた。

 

集会も終盤に入った4時10分頃、中核派らは大量の鉄パイプや丸太、火炎びん等を参加者に配布し始めた。彼らは数週間前、三里塚第一公園の地面や植え込み等にこれらを隠していた。

中核派を先頭に武装した1,000人を超える極左暴力集団は、デモ行進の届出のコースを外れ、成田空港第3ゲートに向かった。

 

空港付近の三里塚交差点で、極左暴力集団は待ち構えていた機動隊と衝突した。

まず先頭の数10人が丸太を抱え機動隊に突進した。そこへ数100人が鉄パイプなどで殴りかかった。更に火炎びんも投げつけ、暴徒と化した。

機動隊も即座に応戦。放水車から発射した放水砲と催涙ガスの援護下に暴徒の検挙を敢行した。機動隊が交差点を制圧すると、極左暴力集団は投石や仮設トイレを倒して汚物をぶち撒けるなど抵抗を続けた。

機動隊が暴動を起こした主要メンバーを逮捕し始め、5時過ぎに暴動は沈静化した。

 

この衝突で、重傷者9名を含む59名の警察官が負傷。放水車および装甲車3台が火炎びん等の攻撃により損傷を受けた。

警察は241人(男=195人、女=46人)を公務執行妨害等で現行犯逮捕した。

 

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中核派らの火炎びん攻撃で炎上する警察の放水車、原典:YouTube

 

成田国際空港の管制塔などの施設への奇襲攻撃も行われた。

午後5時35分頃、革労協のメンバーは、空港内の旅客ターミナルビル駐車場内で自分たちが乗ってきた車両と別の車両の計2台に発火装置を仕掛け、逃走した。

車両が炎上すると、消防士に変装した革労協の秘密グループ「決死隊」が、事前に用意していた「偽装消防車」と「偽装消防指揮車」で空港に乗り付けた。偽装消防車には散弾銃と火炎放射器が装備されていた。

「決死隊」は管制塔前に偽装消防車を停めて装置をセットすると、偽装消防指揮車に乗り逃走した。

その約8分後、偽装消防車に装備された散弾銃から約200個のパチンコ弾発射され、管制塔の窓などが破壊された。

 

10.20成田現地闘争を機に、極左による成田国際空港の反対運動は国民からの支持を失った。三里塚交差点での暴動の様子がテレビ放送されたからだ。

昔の左翼は現在より狂暴だった。そして、命懸けで行動していた。

 

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