素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2680年2月19日

今日は「あさま山荘事件」が起きた日だ。

 

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浅間山荘、出典:Wikimedia Commons

 

あさま山荘事件とは、連合赤軍が人質をとり、長野県北佐久郡軽井沢町にある保養所「浅間山荘」に立てこもった事件である。

・日付:昭和47(1972)年2月19日 - 28日
・死亡者 3名(警察官2名、民間人1名)
・負傷者 27名(警察官26名、報道関係者1名)
 

連合赤軍とは、昭和46(1971)年から翌47年にかけて活動した日本の極左テロ組織である。

共産主義者同盟赤軍派赤軍派)と、日本共産党(革命左派)神奈川県常任委員会が合流して結成された。マスコミは革命左派のことを「京浜安保共闘」という。

赤軍派は金融機関強盗により資金力はあったが、武器がないのが弱点だった。一方、革命左派は銃砲店を襲撃し銃で武装していたが、資金力はなかった。

 

連合赤軍は29名で群馬県の山岳地帯を逃走していたが、8名が逮捕され、4人が逃亡した。

12名は「総括」と呼ばれるリンチにより、仲間に殺害された。これが「山岳ベース事件」である。

残りの5名が警察に追われ、偶然逃げ込んだのが保養所「浅間山荘」である。

 

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昭和47年2月19日、連合赤軍坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤の弟(当時19歳)の5名は警察に追われ「浅間山荘」に逃げ込んだ。そして、中に一人だけいた管理人の妻を人質に立てこもった。

警察はすぐに周囲を包囲。報道陣も駆けつけ、事件の様子はテレビで中継された。

 

連合赤軍のメンバーは、銃を発砲したり爆弾を投げるなどして抵抗した。多くの警察官が負傷した。

22日には民間人の男性が頭を撃たれ死亡した。

 

警察は山荘への送電の停止、騒音や放水、催涙ガスの使用で、犯人の疲労を狙った。メンバーの親族を現場に呼び、数度にわたり説得も行った。

また、クレーン車に取り付けた巨大な鉄球で、山荘の壁と屋根を破壊したりもした。年輩の方なら、この光景を覚えている方も多いだろう。

 

警察は犯人を銃撃できなかった。

「殉教者」として神格化され、他の集団に影響を与えると考えられたためである。更に、射殺した警官が殺人罪等で告発されることへの憂慮もあった。このため、犯人を生け捕りにするのが方針であった。

 

10日後の28日、警察は強硬突入する。

この時、警官2名が狙撃され死亡。目を撃たれ失明した者もいた。この時初めて、現場の警官に拳銃の使用が許可された。しかし、犯人を狙撃することはなく威嚇射撃にとどまった。

この後、犯人が爆弾を使用したため警察の負傷者は更に増えた。

警察は2名の殉職者と26名の負傷者を出したが、犯人の捕獲に成功。人質も無事救出した。

 

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あさま山荘事件について、皆さんはどのように感じただろうか?

筆者は、「新型コロナウイルス対策と同じ問題点があるなぁ」と感じてしまった。

いざという時、責任のある立場の人間が覚悟を決めなければ、国民を守ることはできない。