今日は神武天皇祭(じんむてんのうさい)だ。
4月3日は昭和23(1948)年まで休日だった。
八咫烏に導かれる神武天皇『神武天皇東征之図』、出典:Wikipedia
神武天皇祭とは、初代天皇である神武天皇を祭る宮中祭祀である。神武天皇の崩御日に相当する4月3日に毎年行なわれている。
宮中の皇霊殿と、神武天皇陵に治定される奈良県橿原市(かしはらし)の畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)で儀式が行われる。
『日本書紀』には、神武天皇の崩御日は3月11日と書かれている。現在の暦(グレゴリオ暦)に換算すると4月3日となる。以下、日本書記に書かれている原文と、筆者による現代語略である。
原文
現代語略
神武天皇が即位して76年の春3月11日、天皇は橿原宮(かしはらのみや)で崩御し、その時は127歳でした。翌年の秋9月の12日に畝傍山(うねびらやま)の北東の稜(みさぎ=墓)に埋葬しました。
神武天皇 畝傍山東北陵(奈良県橿原市)、出典:Wikipedia
神武天皇祭は万延元(1860)年3月11日、神武天皇の御陵祭として始まった。
明治4(1871)年9月に「四時祭典定則」で規則化。
明治41(1908)年)9月19日の「皇室祭祀令」で改めて法制化され、公務とされた。
皇室祭祀令は昭和22(1947)年5月2日に廃止されたが、神武天皇祭は宮中祭祀として存続している。
4月3日は「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」および「休日ニ関スル件」により、明治7(1874)年から昭和23(1948)年まで、「神武天皇祭」とされ休日(祭日)だった。
休日には「祝日」と「祭日」があった。
祝日とは、建国や独立などのその国の歴史的な出来事に由来したり、功績のあった人物を称えて制定された記念日である。
祭日とは、宗教儀礼上重要な祭祀を行う日である。
神武天皇祭は明文規定がなくなり、休日(祭日)でもなくなってしまった。これはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の意向である。GHQは神武天皇祭などの祭日を、強権により全て無くしたのだ。
そう、戦争に負けるとはこういう事なのだ。