素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2680年10月12日

今日は浅沼稲次郎暗殺事件が起きた日だ。

昭和35年(1960年)10月12日、日本社会党委員長浅沼稲次郎が演説中、17歳の右翼・山口二矢(やまぐち おとや)に刺殺された。

 

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日本社会党の歴史

 

日本社会党は、かつて存在した政党である。

昭和20年(1945年)成立。昭和25年(1950年)に社会党左派と社会党右派に分裂し、昭和30年(1955年)に再統一した。

平成8年(1996年)に解散し、社会民主党(略:社民党)となった。

政治思想は社会主義。事実上「護憲」が最大の政策だった。

 

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浅沼稲次郎暗殺の瞬間

 

昭和35年10月12日、日比谷公会堂(東京都千代田区)では、自由民主党日本社会党・民主社会党の 3党首による立会演説会「総選挙に臨む我が党の態度」が行われていた。解散・総選挙が行われる情勢だった。

演説は、西尾末広(民主社会党委員長)、浅沼稲次郎日本社会党委員長)、池田勇人自由民主党総裁)の順で予定されていた。

会場には約2,500人の聴衆が集まっていた。右翼団体も入り込んでおり、最初から荒れ模様だった。

 

午後3時頃、浅沼が登壇に立ち演説を始めた。すると、右翼団体の野次が激しくなった。司会者が注意すると、一旦、野次は収まった。

浅沼は演説を続けた。内容は自由民主党の批判だった。

 

午後3時5分頃、17歳の少年・山口が壇上に駆け上がり、刃渡り約33センチの刃物で、浅沼の左脇腹と左胸を突き刺した。

浅沼は数歩よろめき、その場に倒れた。

最初に受けた左脇腹の傷は、深さ30センチ以上もあり、背骨前の大動脈が切断されていた。内出血による出血多量で、即死に近い状態だった。

午後3時40分頃、日比谷病院に収容された時には、浅沼はすでに死亡していた。

 

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山口はその場で自決しよとしたが、巡査に取り押さえられ現行犯逮捕された。

この時、山口は斬奸状(ざんかんじょう)を持っていた。文面は以下の通り。

汝、浅沼稲次郎は日本赤化をはかっている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接のせん動者としての責任からして、汝を許しておくことはできない。ここに於て我、汝に対し天誅を下す。 皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢

 

その後、会場は荒れた。

大日本愛国党赤尾敏共産党支持者が、三党の党首のみに演説させることについて司会者に抗議を始めた。

立ち合い演説会は中止となった。

 

山口は取調べに対し、理路整然と答えていたという。

11月2日夜、山口は東京少年鑑別所の単独室で、首つり自殺した。監房の壁に白い歯磨き粉を溶いた液で「七生報国 天皇陛下万才」と書き残していた。

 

山口のしたことは殺人である。許されることではない。

ただ、これだけの覚悟を持っていたなら、もっと別の方法で自分の主張を周知できたのではないのだろうか。