素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2681年9月6日

今日はベレンコ中尉亡命事件が起きた日だ。

昭和51年(1976年)9月6日、ソ連防空軍のヴィクトル・ベレンコ中尉が、MiG-25(ミグ25)戦闘機で日本の函館空港に強行着陸し、亡命を求めた事件。

「ミグ25事件」とも呼ばれる。

 

ソ連防空軍とは、ソ連軍の軍種のひとつ。正式名称は「ソビエト連邦防空軍」。

主な任務は、領土上空に侵入してくる不審機の迎撃だった。

ソ連空軍とは別。

 

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ベレンコ中尉が亡命に使用した「MiG-25」の同型機、出典:Wikipedia

 

昭和51年(1976年)9月6日、日本から600kmほどの距離にあるチュグエフカ基地から、ソ連防空軍所属のMiG-25戦闘機数機が訓練目的で離陸した。

このうち、ヴィクトル・ベレンコ防空軍中尉が操縦する1機が、突如飛行コースを外れ日本方面に向かった。同機は飛行高度を下げ、通信も遮断した。

 

同日午後1時10分頃、日本のレーダーサイトが領空侵犯の恐れがある国籍不明機を捉えた。ベレンコ防空軍中尉のMiG-25戦闘機だ。

午後1時20分頃、航空自衛隊のF-4EJ戦闘機数機がスクランブル発進した。

しかし、航空自衛隊は直ぐに、ベレンコ防空軍中尉のMiG-25戦闘機を見失ってしまった。

 

地上設置型のレーターは大きさに制限がなく、高出の電磁波を出せるため、探知距離は長い。しかし、地球は丸いため、遠方の飛行機は探知できない。

ベレンコ防空軍中尉のMiG-25戦闘機は、超低空で日本に侵入してきた。

地上設置型のレーターがこのような物体を探知できる距離は、数10kmほど。

 

スクランブル発進したF-4EJ戦闘機は、ベレンコ防空軍中尉のMiG-25戦闘機がやってくるであろう進路を捜索した。

しかし、F-4EJ戦闘機に搭載されたレーダーでは、海面すれすれを飛んでくるMiG-25戦闘機を捉えることは出来なかった。

 

ベレンコ防空軍中尉のMiG-25戦闘機は航空自衛隊に発見されず、北海道の函館空港上空まで飛行した。

そして、午後1時50分頃、函館空港の滑走路に強行着陸した。ドラッグ・シュートを使用したがオーバーランし、前輪をパンク。燃料も約30秒分しか残っていなかったという。

 

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ヴィクトル・ベレンコ、出典:Wikipedia

 

北海道警察は、ベレンコ防空軍中尉の身柄を拘束した。

ベレンコ防空軍中尉は当日中に、米国への亡命を要望。同時に、当初は千歳空港を目指したが周辺は曇っていたため断念し、函館空港に向かったことも明らかにした。

ソ連は身柄の早期引き渡しを要求していたが、米国は亡命を了承した。

3日後の9月9日、ベレンコ防空軍中尉は東京国際空港からノースウェスト航空の定期便で米国に向かい出国した。

 

日本では「ソ連軍が攻めてくる」とか「特殊部隊が機体を取り返しに来る」などの噂が広がっていた。

自衛隊は厳戒態勢をひいていた。

 

ベレンコ防空軍中尉の乗っていたMiG-25戦闘機は、当時としては最新鋭の戦闘機。

ソ邦は機体の即時返還要求しており、当時最大野党の日本社会党(現:社民党)などもこれに同調した。

しかし、自衛隊と米軍はMiG-25戦闘機を分解し調査した。これは外交慣例上認められている機体検査である。

11月15日、機体はソ連に返還された。

 

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ベレンコ中尉亡命事件により、日本の防空網の不備が明らかとなった。この不備を埋めるために導入されたのが、早期警戒機である。

想定外の出来事が起きた時、それを改善すれば技術は大きく進歩する。戦争の発生や感染症の世界的流行により、科学技術が急激に進歩するのはこのためである。

 

また、同事件が起きた時、日本社会党(現:社民党)などの国内の左派は、ソ連の要求を受け入れるべきだと主張していた。

日米がソ連に屈していたら、どうなっていたのだろうか...